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薬剤師のメソッド

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この世界の片隅に ネタバレ感想。のん(能年玲奈)の演技に魅せられた、究極の日常系戦争映画

雑記

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 引用:この世界の片隅に : 作品情報 - 映画.com

 

映画「この世界の片隅に」を観てきました。

ネット上の感想で「感動した」「君の名は。を超えた」なんて声をたくさん聞いていたので、非常に気になっていました。

予告などでは一切話を聞いておらず、上映映画館も少ないようですね。クラウドファンディングで製作が実現した映画ですので、あまり大規模に公開するつもりはなかったのかもしれません。

 

しかし、今後上映映画館は増えると思います。この映画、すごいです。

しばらくの間、映画が終わってもボーッとしていました。

君の名は。、聲の形、そしてこの世界の片隅に。

今年の日本のアニメ映画は凄いですね。非常にレベルが高く、感動させられました。

 

 

映画館を離れてからジワジワくる

重い…戦争のさなかの日本を扱った映画なので、当然なのですが重いです。

しかし、視聴中が重いわけじゃないんです。

劇場を離れて現実に戻った後も生活のすみずみで「この世界の片隅に」を思い出す。

主人公・すずたちが生きた時代を思い出す。

命を失った人、大事な人を失った人、命からがら生き延び、次の時代のために生活を紡ぎ続けた人たちがいたことを思い出す。

 

当たり前なんですが、この国は昔戦争があり、戦争に負けました。

終盤ですずが敗戦したことに対し号泣するシーンがあるのですがそのときのセリフが印象的です。

「海の向こうから来たお米や大豆でうちの体はできている。じゃけえ暴力にも屈しなければならないんかね」

 

日本は戦争に負け、その国で生きる人たちは、負かされた国の生産するものを買い、食べ、日々の命をつないでいる。弱者の感じる屈辱。それでも生き続ける悲しみ。

日本に限らず、現代でもそのような国はあります。

日本だって、ほんの70年前までこうだったのです。決して他人ごとではありません。

 

あたりまえのように国民が戦い、家族が戦死し、それでも「お国のために戦った」と国を恨んで泣くことも許されない。

そんな時代が日本にも、すぐ昔にはあった。

その事実をこのアニメ映画でまざまざと思い出しました。

朝ドラの連続テレビ小説とは何かが違う気がするのは、「生死」を描くことに躊躇していないからでしょうか…

 

ほんわかパステルカラーの水彩画で描かれる世界はおっとりしていて愛すべき風景です。しかしそれが「戦争」「空襲」「原爆」で無残にも彩を失っていく。

終盤になるにつれ、戦争が日常化していくすずたちの生活に胸が重たくなります。

戦争を特別なエピソードとして描かず、あくまで「すずという女性の20歳前後の出来事」として描いているところに、また重さを感じます…

 

彼女は特別な人間ではないし、戦争を止めることも抗うこともできない。

ただ空襲を避け、家を守るのに徹するだけ。

あまりにもシビアな現実ですが、すずをはじめとした、当時のほとんどの国民にはそれが日常だったのです。

 

淡々と描かれる日常。戦争さえも日常。家族の死さえも日常。

胸が重たくなります。「この世界の片隅に」を観て流す涙は、「君の名は。」とは全然違います。すさまじいほどファンタジック要素のないこの物語は、重い。かわいらしい絵とゆるやかな語り口ですが、それでも重い。

 

 

のん(能年玲奈)がいい演技

舞台は戦時中の広島県、呉市です。

広島市の江波から嫁いできたヒロインのすずを、最近「のん」に改名した能年玲奈が演じます。

この能年玲奈さんの演じるすずが、絶妙にどんくさくて、能年さんの声のぼんやりした感じと絶妙にマッチしていました。題材は「戦中日本」という重いものなのに、シリアスな雰囲気になりすぎないのは、ヒロインの呑気でぼんやりとした性格、そして能年さんの声のおかげでしょう。

能年玲奈さん、バラエティ番組なんかだと心配になるくらいコミュ障ですが…声優の演技が意外なくらい役にマッチしていて驚きました。微妙な棒読み加減も、すずのぼんやりした性格に合っているんですよね。

 

原爆さえ日常の延長線

この映画は「日常系」です。

時代が戦時中というだけで、ある女子の日常生活を描いていることは、最近よくある日常系アニメとなんら変わりません。

戦時中という時代の背景もあって、そこに「10代で結婚」とか「他人の家に嫁ぐ」などのファクターも絡んでくるのですが…

 

ヒロインのすずは特別な女の子ではありません。絵を描くことが得意ではありますが、普通の女の子です。

兄と妹、父母がいる普通の家庭で育ち、普通の結婚をし、普通の義実家で暮らします。幼なじみにほのかに恋をしますが、見ず知らず(すずにとっては。夫の周作は、幼少期に彼女と出会ったエピソードを覚えていました)の男性の妻となり、一家を支えるために奮闘します。

 

すずのような女の子は、きっと広島県呉市に限らず、当時の日本全国にたくさんいたのでしょう。当時の「ごく普通の女の子」の日常を描いたものとして、かなりリアルなのではないでしょうか。

時代は昭和20年前後ですが、テーマは「戦争」ではなく、あくまで「すずの人生」であるように見えました。

昭和20年、8月、広島県といえば、誰もが原子爆弾の投下をイメージするでしょう。

 

しかし、劇中では、原爆投下はさほど大きな出来事として描かれません。「雷な?」「なんか大きな雲が遠くに湧いてるね」その程度です。広島市から20キロ離れた呉に住むすずにとっては、原子爆弾はその程度のエピソードなのです。

 

原爆より、むしろ、それ以前に描かれる呉市の空襲の様子が、すずの人生にとっては非常に大きな出来事だったでしょう。

ネタバレになりますが、呉市の空襲により、すずは義理の姪を目の前で亡くし、自身は右手を喪います。

あれほど画を描いたり、台所仕事をしたり、裁縫したり、ちょこまかと動き回っていたすずの右手が、無くなる。

これはかなり衝撃的なエピソードでした。

 

しかし、手を失っても、家族を失っても、すずの人生は続きます。後悔に打ちひしがれるうちに、いつの間にか戦争は終わり、新しい時代が始まります。

 

原爆さえも日常の一部として書き表され、淡々と続いていく、北條すずの人生の物語。ただの戦争映画ではありませんでした。

 

淡々と続く暮らしと、それを脅かす空襲

戦争がテーマだからといって、いつも雰囲気が張り詰めているわけではありません。

むしろシリアスになるのは物語の後半だけです。呉市の空襲が始まるまでは、すずたちはいたってのんきです。

特にすずはもとからの性格もあって非常に鷹揚です。配給でろくにお米がもらえない状態になっても、近所に生えてる野草をつみとったり馬鈴薯を混ぜてみたりしながら、あくまで楽しそうに日々の食事を作ります。

 

歌うように料理するすずの姿に切迫感はありません。戦争で苦しい、という色は見えません。もしかしたら、空襲は出兵と関係しない家庭の多くはこういうおおらかなノリで日々を暮らしていたのかもしれませんね。空襲が始まるまでは、この映画はいたって「日常系」です。

 

ただし、空襲が始まると一気に日常はつぶされます。ケガもしますし、家も壊れますし、人も死にます。毎日積み上げてきた暮らしは一瞬にして破壊されます。このシーンは残酷で、よけいな脚色がないぶん生々しく、怖い。

それでも人生は続く、すずは毎日生きていきます。日常を脅かされてもそこから逃げず、淡々と生きていきます。日常を過ごすことが、彼女にとっての戦争への抵抗だったのかもしれません。

現代からは想像もできないです。70年前の日本人は、老いも若きも、男も女も、こうして戦争と「戦う」日々を過ごしていたのですね。

 

たくさんの「たられば」

義理の姪の晴美を失った後、すずは後悔します。

あのとき、晴美を逆の手でつないでいれば、下駄を脱ぎ捨てて必死で走れば、自分が時限爆弾側に立っていれば、はるみは死なずに済んだんじゃないのか…

 

義理の姉の徑子にも「あんたがついていながらどうして!この人殺し!!」と厳しく言われます。それにしてもこの徑子さん、すさまじい人生ですよね…。モダンガールとして奔放に生き、結婚したかと思えば旦那の商売はたちゆかなくなり、息子は下関に連れていかれ、離縁してバツイチになり、愛娘は空襲で死んでしまうんですから……

 

すさまじい逆境の中でも、自分で仕事を選び、人生を選び、「後悔していない」と言う徑子さんの生き方は、登場人物の中では最も現代女性に近いように思われます。ぼんやり流されて生き、結婚も親の決めるまま執り行ったすずの生き方とは対照的です。

 

わたしは徑子さんかなり好きです。厳しいうるさいオバチャンかと思いきや、ツンデレで実は優しい人なんですよね…。土手の物陰で1人で晴美を想って慟哭するシーンが本当につらい。本当にこの人には幸せになってほしい。

 

脱線しましたが、「もし自分がこうしていれば晴美は死ななかったのでは」ということを、すずは考えるわけです。

しかし、すずの人生にとって実は最大の「たられば」は、「広島市に帰っていたなら」でしょう。

 

晴美を死なせたショックで自暴自棄になったすずは広島市に帰る、と言いますが、結局汽車のきっぷが取れなかったという事情で、8/6に広島市には帰れなくなります(同日は地元、江波のお祭りです)

 

ここでもし帰省していたら…

すずは呉に偶然いたばっかりに、原爆をやり過ごすことができましたが、このときすずは、「自分がもし帰省していたら」と振り返ることはありません。

 

なんか、人生そういうこと多いよなって思いました。

結果としてうまくいったことの「たられば」には気づかず、悪くなったことの「たられば」はずっと心に残り続ける。

 

もしすずがチャキチャキした性格でさっさと切符をとって徑子のように実家に帰っていたら、原爆の被害に遭った可能性が高いわけです。

 

この世界ではいくつもの「たられば」の選択の果てに、よいことも悪いこともあるのだな…と思わされました。

 

実家の存在について

原爆シーンの後、すずの実家のことがずっと気になっていました。ちょっと、誰も何も言わないけど、お父さんお母さんすみちゃんはどうなったの…?と思っていました。

 

実家の家族の安否がわかったのは、季節が寒くなってからでした。

父は原爆投下当初、母は秋に死亡していました。

そしてそれを語るすみの手も、原子爆弾の放射線に冒されていました。

 

それを知ったすずのリアクションが…なんというか、薄いように感じたのはわたしだけでしょうか。

戦争であまりにも日常的に人が死ぬから動じなくなっているのか、嫁いだあとの実家は、もう縁遠いものなのか。

 

生み育ててくれた父母の死亡を数ヶ月後に知ったのにあのリアクションの薄さ、というのが、現代の感覚とのギャップを感じました。義理の父が倒れたときは、すずはわんわん泣いていましたからね。「嫁ぐ」「ほかの家の人間になる」というのは、こういう意味もあるのかな…と考えさせられました。

 

叶わない恋、後から来る恋

正直、周作は絶対に死ぬと思っていました。

周作が戦死し、夫の喪失の悲しみからすずが立ち上がる物語なのかと勝手に予想していました。

まさか周作はピンピンしていて、すずが右手を失う展開になるとは。思いもしなかったです。だって周作いかにも幸薄そうな顔だから…

 

ゆるかわいいタッチで描かれた本作ですが、意外にエロチックです。夫婦ならではなシーンもありますし、ちょっと不倫?ぽいシーンもあります。すず、めちゃくちゃ小柄に見えるけど、ちゃんと大人の女性なんですね(当時の栄養環境なら、そりゃ小柄でしょうが)

 

幼なじみの水原哲と、ほのかに惹かれあいますが、結局見ず知らずの北條周作に嫁ぐすず。

北條家に遊びに行き、すずにカマをかける哲。

(よく考えたら、自分の妻をたった1人で、納屋で寝ている妻の幼なじみ(たぶん両思い)に会いに行かせる旦那ってヤバくないですか?浮気してくれと言ってるようなもんじゃないですか…)

 

際どい雰囲気になりますが、すずはすんでのところで制止します。

哲を思う気持ちがある一方、周作のことも愛し始めていたのです。

周作に不義は働けない、と、すずは哲を拒みます。

 

昔はとくにこういうこと、多かったのではないでしょうか…

心のうちに好きな人がいても、通じあうことなくほかの人に嫁ぎ、その人に尽くすことにいつしか生きがいを覚えるようになる。

 

防空壕の中の、すずと周作のキスシーンは色っぽかったですね。防空壕を作らなきゃならない、というシリアスな環境の下でも、こういう男女の営みは日常的に続いていたのでしょう(物語後半からはそれどころじゃなくなりますが)

ラストシーン、すずは周作に「この世界の片隅にいる私を見つけてくれてありがとう」と言います。

 

後から生まれる恋、というのも良いですね。昔の結婚が若いうちに行われたのは、本人が結婚とかわけわかんない間に相手とくっつけちゃえば良い、という発想があったからかもしれません。十分に分別がつき、好き嫌いや生き方が確立されてしまったあとでは、「こんな人好みじゃない!結婚なんて絶対嫌!!」となっちゃうでしょうから。

 

カットされた「すず、周作、リン」の関係

この映画は漫画が原作です。

こうの史代先生が描かれた「この世界の片隅に」を映画化したものです。

 上、中、下の全三冊です。

3冊分の内容を2時間の映画にまとめているので、ところどころ抜け落ちているエピソードやせりふがあります。

その中でももっとも大きいものは「リン」の存在でしょう。

 

買い物で迷子になったすずは、見慣れない街にたどりつきます。

話しかけても土地勘のない人ばかり。

女性はとてもいい香りで、きれいな身なりをした人ばかり。

ここはいったいどこ…?

途方に暮れるすずに声をかけ、帰り道を教えてくれたのが「リン」という少女でした。

絵を通して仲良くなったすずは「また遊びに行く」と言いますが、リンは「再々こんなところに来るもんじゃない」と言います。

 

きれいな身なりをした女性、歩いているのは男性ばかり。

すずが迷い込んだのは遊郭街で、リンはそこで働く遊女なのでした。

 

映画ではすずとリンの交流はここで終わり、もう会うことはありません。

次にリンを見るのは映画のエンドロールです。

(このエンドロールを見るとわかるのですが、映画冒頭で子供のすずが出会う「ざしきわらし」はリンですよね…?すいかのエピソードで「昔、女の子が実のついた赤いすいかを食べさせてくれた」って言っていましたし)

 

ところが原作ではリンは大きな存在です。

すずの夫の周作は、結婚前にリンと関係を持っていたからです。

遊郭に通い、遊女のリンと交流し、一緒になることも考えました。

 

しかし、結果としてすずを選びました。

あることでリンと周作の関係を知ったすずは、長い間葛藤することになります。

リンが周作のかつての恋人だったことも知ったうえで、友達として交流します。

自分と出会う前にすでに別の女性と関係していた周作には、愛憎まじった態度で接します。

 

このエピソードって、当時の女性の生き方を表すものとしてとても存在感が大きいと思うので、まるまるカットされたのは惜しいなあって思いました。

映画だと、リンの存在って、あやふやじゃないですか。

昔会ったざしきわらしだということも、遊女だということも、作中ではささやかにしか表現されない。

すずと遊郭街で初対面したシーン以外登場しませんし、その後彼女がどうなった(戦争を生き延びたのか)かも記述されません。

周作とリンの関係は一切描写されません。

 

だから周作とすずは、「とても仲睦まじい初々しい若夫婦」であるかのように表現されます。映画では。

漫画では「自分と出会う前にはほかの女性と関係し、結婚も考えていた男性を夫にするジレンマを抱える妻」としてのすずの顔も描写されています。映画の周作は、すずにとても一途というか、すず以外の女性の影が一切見えなかったので、この違いは大きくないですか。

 

そうなると新婚初夜の「傘」の会話も意味深です。

夫「傘を持ってきたか」

妻「新(にい)なのを1本持ってきました」

夫「さしてもよいか」

妻「はい」

という会話は、夫婦のコミュニケーションを承諾するための合言葉です。

 

ただこの会話、あきらかに、妻には「新=誰とも交際していない」ことを求めていますよね。当時の貞操観念がよくわかります。

 

幼馴染に恋しながら新であることを求められたすずと、遊女と恋した過去を持つ周作。この二人が愛憎いりまじった感情を持ちながら夫婦としての関係を育てていく。映画ではそのへんのニュアンスはばっさりカットされていました。

 

※周作とリンの関係をふまえて考えると、周作がすずに哲に会いに行かせたのもなんとなくわかります。「俺もほかの女がいたんだから、おまえも同じことをしてもいいんだぞ」ってことでしょうか。

 

そしてその後のすずの「あの人(周作)が憎くてたまらん」ってセリフも意味が変わって聞こえます。わたし、映画でこのセリフを聞いたときは「哲が好きで、いやいや嫁いできたのに、周作のことを本当に好きになってきてしまった。もっとひどいやつなら哲と一緒に広島に逃げ帰ったのに。憎い人だ」みたいな意味かと思っていました。

 

漫画ではもっと意味が深くなりそうですね…「周作は好きだけど、好きになればなるほど、彼とリンが関係した過去が重たくなる」のですから。

 

「周作とリンが関係していた」エピソードと対になるのが、「哲とすずが納屋で語り合う」シーンだと思ったので、映画では後者のみが採用されたのは少し違和感がありました。上映時間の都合だったのか、性風俗に関する倫理観の問題なのかはわかりませんが…

 

リンの存在をふまえて周作・すず夫婦の関係を見ると、原作が表現したかった二人はただの「少しずつ絆を育てていくいじらしい若夫婦」ではないことが伺えます。

 

 

日常系戦争アニメ映画の傑作

ぜひ見ていただきたいです。

君の名は。に比べたら上映映画館数も少ないですが、それでも見てほしい。

方言や専門用語、時代の言葉が多く、とくに注釈もないので、理解が追いつかない場面も多々あるかもしれません。

 

しかし、戦時中に生きた、あるありふれた女性の姿を現す映画として、「この世界の片隅に」は傑作です。

 

戦争と戦う女性の物語、ではない

本作の主人公、すずは、戦争に向かって真正面から戦うヒロインではありません。

ぼんやりしていて、流されがちで、時代の向く方向に向かって生きて、嫁いで、空襲から逃れる準備をして、死にかけて、それでも「戦争反対!!」と大きく声を上げて立ち上がるわけではありません。

 

ただ、その日その日を暮らしているだけの、ごくふつうの、どの時代にでもいそうなありふれた女性です。彼女が日本を変えることも、呉を変えることも、ありません。

すずは戦うヒロインではないのです。

 

すずは絵を描くことが好きですが、それで身をたてるわけではありません。

画家にもならない、有名にもならない、お金も稼げない。

それどころか、右手を失ってからは絵を描いていません。

絵を描くのが好きな女性、という設定を持ちながら、その設定が最終的に彼女の人生を助けることにはなりません。

彼女はただ絵を描き、家事をやり、右手をなくしてからは、慣れない動作で家事をがんばります。長い髪が邪魔になるからと衝動的に髪を切ります(君の名は。といい、いきなり髪を切るヒロインって流行ってるんですか…?)

 

右手をなくしたことも、絵を描く才能を発揮できないことも、残酷なくらい、彼女の人生には「ただの事実」です。別に成功前の不幸エピソードでもなんでもありません。このあたりがフィクションなのに生々しくて、見ていて辛かった……最後に絵を描く仕事をするすずがいるかな、と思ったら、なんにもないんですもの。彼女の人生は、あくまで淡々。流動的。そこに生々しさを感じさせられます。

 

ストーリはシビアですが笑える場面も非常に多く、まさに日常系アニメです。笑いあり、涙あり、考えさせられる、傑作です。

君の名は。のようなファンタジー要素はなく、ひたすら現実はシビアなのですが、それでも周りの助けを借りて淡々と生きるすずの姿に、忘れかけていた「昔この国に戦争があった」事実を思い出さされました。

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かつての日本に生きたありふれた女性の日常を描ききった傑作です。もっとたくさんの人に観てもらいたいです。2016年の邦画は絶好調でしたね…!

 

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